自然との共生と森づくり

森について

天然林内部森にはいろいろな生き物がいます。そこは植物、動物、菌類、その他無数の生き物が、その場の環境に応じ集まって生活している場所、生き物自身が作り出した生き物のための場所です。自然の森は初めからそこにあるものではなく、裸の大地の上に少しずつ植物や菌類などが定着し、植生の移り変わり(植生遷移)により次第に草原や低木林などになり、長期間にわたる多種多様な生き物が織りなす無数の相互作用を経て、樹木やその他の生き物の集合体としてできあがるものです。それは人間の管理下にある里山や林床植生が残る伐採跡地など、植生遷移の途中から始まり途中で留まるものも含め、本質的に生き物たち自身の力で環境に即して形成されていくという性質に変わりはありません。

このように、森には多種の生き物の多様な生活があります。それゆえ個々の生き物がその時々の環境に対応し生息場所や生活方法を選択していくことにより、森総体としても個別の立地や、環境の変化に対応して柔軟に形を変えていくことが可能になります。この柔軟な性質のおかげで、森は生き物の集合体としての状態を自律的に維持することが可能であるといえるでしょう。森が森として長期にわたり存続可能なことには、この柔軟な性質が大きく関わっています。

人からの働きかけ

人工林人 間 は「こんなふうな森になって欲しい」と言う目的があって周囲の森に働き かけをしてきました。利益と災厄の両方をもたらす森を畏れ多く感じながら、人は森から多くのものを得てきたのです。スギやヒノキの人工林や、近代以前の人 里の生活に欠かせなかった里山などは、人が関わってできた森林の代表格です。

なお森に人の働きかけがあった場合など、「森林」や「林」と呼ぶことが多いのですが、用語として「森」との厳密な区分はされておらず、ここでも混ぜて使っています。また森が山地にある地域では、「山」と言いあらわすことも多くあります。

自然との共生

自然そのままの森は人工的に作ることはできません。自然の森をつくるには、人手を加えず自然の法則に任せ、原生林のような状態になるまでには何百年、またはそれ以上もの時間をかけて置いておくしかないのです。ですから原生的な森林をむやみに伐採したりすることは、その場所の自然環境にとって大変な損失です。自然環境は現在また将来世代の人間にとってかけがえのない財産ですから、他の生き物のためのみならず、私たち人間自身のためにも自然との共生をしていくのは当然の行為です。

多様な命の源である自然の森を守らなければならない一方で、森林で木の実や山菜、動物を捕ったり、木材を伐採したり、木を植えたり、あるいは開墾して農地として利用したりということが人間の生活のためには必要になってきます。日本でも、森林から様々な資源を得て生活してきた長い歴史があり、それにより木の文化、広くは森林文化を育くんできました。これも森のもつ柔軟な性質によりできたことで、それを損なわない範囲に留めている部分では成功してきたと言えるでしょう。

反面、特に明治以降顕著なことですが、そのの時代の社会的・経済的理由から奥地森林の大規模伐採・植林を行った結果、本来の自然を大量に破壊したうえ、いま人工林としても健全な森林の維持が 困難になってしまっています。不健全な人工林では水を貯える機能や生物多様性が低化したり、倒木や崩壊などの気象害が起きやすくなるのはご存知のとおりです。

近年ではシカやイノシシの異常な増加がそれ以上の問題として表面化しています。これにはニホンオオカミ、エゾオオカミの絶滅が生態学的側面からの根本的な要因としてあげられるでしょう。明治政府が家畜の害獣として駆除を奨励したこと、エサであるシカを大量に狩猟したこと、外国由来の伝染病など、確定した説はありませんが、いずれにせよ人間活動の複合的な影響が絶滅の原因として考えられます。オオカミは生態ピラミッドの頂点捕食者であり、その絶滅によりシカなど大型哺乳類の天敵が失なわれ、特にシカは適正な密度の10倍に増えても増加に歯止めがかからないという異常な事態が各地で継続しており、森林生態系に取り返しのつかない悪影響を及ぼしています。

このように森林の機能が大きく損なわれてしまうような大規模な開発をしたり、生態系 の全体性を鑑みず人間の都合だけで生物の絶滅を引き起こしてしまったりという間違った行動により、自律的な回復が困難または不可能な状態にまで森林を改変、破壊してしまったことについて私たちは猛省しなければなりません

 

自然に即した技術

人間が森林から資源を得つつ共生していこうとするとき、その方法はよく考えられたものでなければなりません。いま森林に対する最大の人間活動といえば木材生産のための林業があげられます。林業は化石資源への依存度を下げ、自然林を無秩序な伐採から守るためにも必要な産業ですが、これまで国内外で自然環境問題を引き起こしてきたことも事実です。日本では伝統的な林業として奈良県の吉野や京都北山などで維持されてきた優れた方法があります。これらは自然の法則とその時代の人間社会の事情を両立させてきたもので、これからも各時代、各地域で自然の法則に即した林業技術が考えられ、実践されるべきでしょう。

大面積伐採に匹敵するような大きな面積の山地崩壊や風倒害は自然界では数百年に一度の頻度で発生し生態系に大きな影響を与えるものですが、小規模な崩壊、倒木は日常的に起こり影響も限定的です。これにならい、例えば小規模な林家にとっては、伐採や植林を毎年小面積ずつ行うというのも一つの方法かもしれません。奥地森林でも里山でも、自然界のなかで起こっていることを真似たり参考にすることで、森林利用が自然にかける負荷を減らすことができる可能性があります。

ただし絶滅したオオカミについては、人間や犬がオオカミの行動や生態を真似をすることは技術的や生物的に無理があります。日本犬を改良してニホンオオカミに近い動物をつくろうと考えても、ニホンオオカミ、エゾオオカミに一番近い生態をもつ生物は結局海外で絶滅を逃れたハイイロオオカミというほかはありません。人間の技術に越えられない壁があるため、絶滅種については「再導入」という生物種を補完する手法が選択枝として検討されるぺきてしょう。

「森をつくる」とは

熊野の森をつくる会の「森をつくる」という言葉には、二つの意味を込めています。一つには「本来の自然の森には余計な手を加えず、自然の力に任せておくこと」。当地にも、多くはありませんが本来の森が残されています。もう一つは、自然の法則に留意しながらも「人が手をかけて生活のための森林をつくっていくこと」

私たちはどういう森林をつくりたいのか。それは人はどういう生き方をするか、または人間とはどういう生き物なのかということまで広がる大きな問いといえます。

森は人間を含むたくさんの命を育むとともに、人間がこの世界で生きていく方法を学ぶ原点としてあり続けていくものなのでしょう。